日記・コラム・つぶやき

象鼻杯

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中日花火大会

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世界は一つ

 2008年も今日で195日が過ぎようとしています。

今年は北京オリンピックが開催される年ですね。

世界が一つになって平和な世の中が来ることを切に願っています。

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世界がもし100人の村だったら…

もしも今日ついていない一日だと感じたあなたも これを読んだら現実が違って見えるかも
これを読んだらまわりがすこし違って見えるかもしれません。

誰かが私に興味深いお話を伝えてくれました
もし現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで
全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう

その村には…

57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ人
8人のアフリカ人がいます

52人が女性で
48人が男性です

70人が有色人種で
30人が白人

70人がキリスト教以外の人たちで
30人がキリスト教

89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59%を所有し
その6人ともがアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調に苦しみ
1人が瀕死の状態にあり
1人は今生まれようとしています

1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
そして1人だけがコンピューターを所有しています

もしこのように縮小された全体図から 私達の世界を見るなら
相手をあるがままに 受け容れること 自分と違う人を理解すること
そしてそう言う事実を知るための教育がいかに必要かは
火を見るより明らかです

また次のような視点からもじっくり考えて見ましょう

もしあなたが今朝目が覚めた時 病気でなく健康だなと感じることが出来たなら…
あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより 恵まれています

もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩
あるいは飢えの悲痛を 一度も経験したことがないのなら…
あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています

もしあなたがしっこく苦しめられることや逮捕拷問
または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことが出来るなら…
あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています

もし冷蔵庫に食料があり着る服があり 頭の上に屋根があり寝る場所があるなら…
あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています

もし銀行に預金がありお財布にお金があり
家のどこかに小銭を入った入れ物があるなら…
あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です

もしあなたの両親がともに健在で そして二人がまだ一緒なら
それはとても稀れ なことです

もしこのメッセ-ジを読む事ができるなら あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう
何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて
その上あなた は全く文字の読めない世界中の20億の人々より
ずっと恵まれているからです

昔の人がこう言いました 我が身から出るものはいずれ我が身に戻り来ると
お金に執着することなく喜んで働きましょう
かって一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう

誰も見ていないかのごとく自由に踊りましょう

誰も聞いてないかのごとくのびやかに歌いましょう

あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう

このメッセ-ジを人に伝えて下さい そしてその人の一日を照らしてください

C.ダグラス・ラミス 訳:なかのひろみ

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吉野の桜

 吉野を旅した宣長は、桜の宿り木をうらやましげに眺め、桜の宿り木はいいなあと歌にも詠んでいる。
桜は宣長が大好きだった花。自宅の庭にも何本も植え、春には花見にもしばしば出かけた。
 また、44歳、61歳の自画像では「山桜」がモチーフとなり、『遺言書』では奥墓に植えるよう指示し、自ら付けた諡にも「秋津彦美豆桜根大人」とある。
 桜への思いを最も直截に語るのは、「花はさくら、桜は、山桜の、葉あかく照りて、細きが、まばらにまじりて、花しげく咲きたるは、又たぐふべき物もなく、浮き世の物とも思われず」で始まる「花のさだめ」(『玉勝間』)である。その細やかな観察は抜群だ。
 桜が日本独自の花であり(これは植物学上の問題では無く、その美しさの発見という意味)、また、自分が吉野水分神社の申し子ということも宣長の桜への思いには深く係わるが、何より花そのものが好きであった。
 夥しく詠んだ桜の歌については、亡くなる前年の秋に詠んだ『枕の山』が到達点といえよう。この歌集について歌人・岡野弘彦は「「枕の山」と題する桜の歌三百首は、最晩年の心の陰影と自在さとが、伸びやかに出ていて面白い」と評するが、晩年の宣長は物狂おしい程に桜を思い、ついには同一化しようとさえする。

 週末は宣長の愛した吉野の桜を是非見たいものだ。

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感謝の気持ちを忘れずに

 今日は、伯父伯母の13回忌・3回忌合同の法事に行って参りました。月日の経つのは本当に早いものです。小さい頃の思い出が走馬灯のように頭を過ぎりました。伯父は名門校の出で、私が中学時代であった時に、当時としては珍しい洋食器、フォークを使い食事をしていたのを覚えています。潔癖症と思われるくらいとても清潔な人で、食器なども必ず熱湯消毒をしていました。長女と義妹である母を非常に可愛く思っていたように思います。人との付き合いが非常に煩わしく思われていたようで、晩年は、家族と離れ一人住まいをされていたようです。
 ところでお経の間、足が痺れ我慢できなかったのが自分でも本当に情けなく思いました。お経が終わった後、住職の説法があり最近、学校の先生から聞いた話では父兄から、食事をする時に、「合掌」や「いただきます」ということをさせないでほしいと言われるそうです。何故ですか?と問うと、食費を払っているのに何故そのような事を子供にさせなくてはいけないのかと言ったそうです。それを聞いて本当に情けなく思いました。そんな親がいると思うと世も末だと思いませんか。それに対し先生もしっかりと答えられずどっちもっどっち、教育者としても失格だと思います。そのような環境で育っていく子供達は将来どのような大人になっていくのでしょうか。少子化問題、教育問題、環境問題など日本の未来はどうなってしまうのか不安になってしまいます。世の中、自分は「生かされている」ことを先ず知る事です。人は生きるために他の動物や魚など生き物を殺生しこれを食べて生かされているのです。この感謝の気持ちがあれば、自然と合掌し「いただきます」と言えるのではないでしょうか。また、養鶏、養豚などの経営者なども鶏、豚などを養っているのではなく、それを売る事により自分達が養われているのだという自覚を持つ事が大切であると言われました。若いながらこの住職にとても感心し、自分の従姉妹の子でもあることに頼もしくもあり、うれしくも感じました。いちいち言われてやるのではなく、感謝の気持ちを忘れずに、静から悟りを開かなければならないと思います。

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